エッセイの森🌳

人生の1ページをいつか本に

南インド料理のファン歴10年

「野菜だけでこんなにおいしいのなら、もう肉なんていらない!」

2014年に南インドでカレーを食べたあの日から、私は南インド料理のとりこになってしまった。

インドを訪れたのは、インドの伝統医療アーユルベーダの施術を受けるためだった。

当時、会社員をしていた私はストレス過多で、高熱や胃腸炎、めまいなどに定期的に見舞われていた。そこで体調を整えるために、世界三大伝統医療のひとつであるアーユルベーダの施術をインドで受けてみることにしたのだ。

南インドのケララ州にあるアーユルベーダ療養所「Health Village」に1週間の滞在。人生初のインド旅行だったので、多少の不安はあったものの、一体どんなところなのだろうという好奇心の方が強かったと思う。

「Health Village」は、コーチン空港から車で約1時間のところにあった。こぢんまりとしたペンションのような雰囲気で、大きな川辺に面していてとても静か。敷地内では何種類ものハーブが育てられていたり、ココナッツの木にハンモックがかかったりしていて、心が安らぐ。

さて、長旅で腹を空かせた私は食堂へ向かった。

メニューはなく、料理の内容はシェフに一任されているようだ。席に着くと、ご飯と豆・カリフラワー・ニンジンやインゲン、カボチャなどが入ったカレー3種類が出された。自分の皿にカレーとご飯をよそって、混ぜて食べるらしい。

カレーを口に入れた瞬間、目の瞳孔が見開き、思わず「う~ん!」と唸ってしまった。

マスタードシードやクミン、ペッパー、ガラムマサラなど、何種類ものスパイスが絶妙な配分で混ざり合い、言葉では言い表せない深みのある味だった。かと言って濃厚すぎるわけでもなく、野菜そのものの味もしっかりと感じられる。

あまりの芸術的なスパイスの味付けに「今まで自分が作っていた薄味の日本食は一体何だったんだろう」と、ショックを受けたほどだった。

その後、私は、全身のオイルマッサージや額にオイルを上から垂らし続けるものなど、念願のアーユルベーダの施術を1日2回受けられたのだが、施術よりも食事の方が楽しみになってしまった。

滞在中は朝・昼・晩とすべてベジタリアンの南インド料理を食べ続けた。しかし、一度もカレーに飽きたとか肉を食べたいとか思うことがなかった。しかも、あまりのおいしさに食べすぎて、お腹を壊してしまったほどだ。

南インドでしっかりと体調を整えて日本へ帰国した後、しばらく何を食べても味が淡白に感じられた。どうやら舌が南インド料理のスパイスにすっかり慣れてしまったらしい。その違和感もさみしいことに、1週間くらいで消えてしまったが。

南インド料理を食べた時の感動をまた味わいたくなり、最近、Youtubeを観ながら南インド料理を作っている。

「う~ん!これこれ」

と、あの時に食べた味をいつか再現できることを目標に、今日もまた南インド料理を作る。

 

自分がいるべき場所はここなのか

服、靴、カバン、化粧品、宝石、飲食店。さまざまな店が立ち並ぶ神戸の商店街を歩いていると、ふとインドの大自然が恋しくなってしまった。

去年11月、インドのダラムサラへ行った時に親しくなったタクシードライバーのラジさんが、友人の結婚式や家族、薪を割っている人の様子など、インド生活の写真や動画を定期的に送ってくれるおかげで、頭の中に常にインドの灯がともっているからかもしれない。

大自然に囲まれながら、素朴に暮らしているインド人を思い浮かべて「あぁ、なんだか羨ましいな」と思った。日本に比べれば、そりゃあ生活は不便極まりないだろうが、あんな壮大な自然が身近にあるなんて。

ダラムサラのダウラダール山脈

我に返り、意識をインドから神戸に戻す。すると、ふと疑問がわいた。

(自分が本当にいるべき場所は、果たしてここなのか?)

私は生活に便利なように、都会に近い地方都市にいつも暮らしてきた。けれど、海外をひとり旅するときは、無意識に新興国の田舎を選ぶことが多い。そして、何をするでもなく、自然の中でぼんやりしていることが多々あるのだ。海の側で育ったので、今までずっと、地方都市の海辺に住むことが快適だと信じて疑わなかったが、実はもっと緑豊かな田舎で暮らした方が幸せだったりして。さらには、海外の田舎暮らしが性に合っていたりする?

昔、ブータンへ行った時に、こんな美しい田舎で、暮らすこと自体を楽しんでみたいなぁと思ったことがあった。キャリアがどうだとか、自分の人生の目的は何なのかとか、ややこしいことを考えずに、毎日ただ生きるために必要なことをするだけ。

朝起きてから、水を川に汲みに行ったり、ごはんを作ったり、川で洗濯をしたり、畑や家畜の世話をしたりしているうちに日が暮れて、夕食を食べた後は寝るだけ。ブータンに限らず、インドやネパールなど田舎の暮らしは、決して楽ではないだろうが、シンプルそうに見えた。

私が日本でしている生活は、機械化の恩恵をたっぷり受けていて便利だが、なんだか複雑化している。炊事洗濯などは自動化されて断然楽なはずなのに、私はあまり幸せではなく、いつも焦っていた。

ただ単に生きているだけではだめで、活躍して社会の役に立たなければ。アンチエイジングやダイエットに勤しんで、まともな服装をして、きれいに化粧をして、常に美しくあらなければ。もっとお金を稼がなければ。もっと価値のある自分にならなければ・・・。なんだか人生の目的が、ブータンやインド、ネパールの田舎のように「ただ生きるだけ」だと許されないような気がするのは私だけか。

ブータンのお寺です

もちろん生きて行くために働くことは必要不可欠である。ただ、あまり多くを求めずに、自然の中で素朴に気分よく生きている方が、都会であれこれといろんな欲望に振り回されるよりも、思い煩うことが少なくて幸せなのではないか。最近、そんなふうに思うことがある。

たとえばインドの田舎で暮らしたら、私はどんなふうに感じるのだろうか。今あるものに感謝をして気分よく暮らせるだろうか。それとも文明の発展した煌びやかな生活が恋しくなるのだろうか。

神様がもしそんな機会をくれたら、ぜひ試してみたい。

「誰がそんなところへ行くか!」のインド

新年に家族でご飯を食べに行った時のこと。

去年行ったインドはどうだったのかと弟に聞かれたので、滞在した北インドのダラムサラの雰囲気を教えてあげることにした。

まず朝は、ホテルのテラスで遊んでいる猿がやかましくて目が覚める。その後、どこかのカフェで買ってきたパンを食べて、お腹を壊す。前日もこのパンを食べた後にお腹が痛くなったので、パンに何らかの問題があるのに違いない。一体どうやったらパンで食あたりを起こすのかよくわからないが、どうせ消費期限の管理などしていなくて、売れるまで棚に置いていたのだろう。

腹痛がおさまって外出すると、狭い道をじゃんじゃん走っている車に、大きな音でクラクションを鳴らされ続ける。

「プップー!!ププププー!!!!」

あなたの後ろに車がいますよ。という意思表示なのだろうけど、精神衛生上、悪いったらない。日本のように「プッ」と、ちょっと鳴らすとかいうレベルではなくて、これでもかというくらい鳴らされる。ちなみに、このクラクションは、私のような凡人もお坊さんも等しく鳴らされる。私はひそかに見てしまった。プープークラクションを鳴らし続ける車に、尼さんが何やら暴言のようなものを吐きながら、キレているところを。

後ろからくる車だけではなく、足元にも注意が必要だ。野良牛の大きなウ〇チが落ちていたり、水道管が破裂して、シャーッと水が噴き出たりしている箇所がある。頭上もなかなかのもので、ある商店の屋根からは、毎日結構な量の水がしたたり落ちているし(屋根の上にあるタンクが故障しているみたい)、ある日、突然、「パーンッ!パパパーン!!」という音とともに、電線で火花が散った。慌てふためく私とは対称に、周りにいたインド人たちは何の反応も示していないのが逆に恐ろしかった。日常茶飯事なのだろうか。

そんな感じで疲れてホテルに戻り、さぁ、寝ようと思うのだけれど寝られない。どこかで結婚式が行われていて、「ドーンッ!ドーンッ!ドドドーンッ!!!」と、鼓膜が破れそうな音量の音楽が流れているからだ。しかも、夜中の12時過ぎくらいまで続く。

翌日の朝、今度は猿ではなく、大きな貝を吹く音で起こされた。まだ5時台やぞ・・・その貝の音には一体どんな意味があるんだ?何かを知らせているのか??でも私はインド人じゃないので、何のために吹かれているのか知る由もない。

「と、まぁ、こんな感じやけど、インドはいいところよ。自然が壮大で美しいし、インド人は親切やしね」

とインドをフォローすると、弟が言った。

「今までの説明聞いてて、誰がそんなとこ行くかっ!!」

私はどうして、それでもインドに行くのだろうか。一体インドの何がこんなにも私を魅了するのか自分でもよくわからないが、インドへ行くと自分が何かから解放されて自由になれる感覚があるのだ。

なんて話しても、誰も理解してくれないのだけれど。

テオさんに出会っていなければ

2015年に移住した時は、シンガポールが嫌いだった。

自分が好きで住んでいるわけじゃない。新婚だったこともあって、シンガポール赴任を希望した夫に、仕方なくついていっただけだ。そのせいで、10年以上、勤めた会社を辞めることになったのは、とても残念だった。

心機一転し、シンガポールで働き始めたものの、適応障害になり、半年で退職してしまった。新しい土地での新婚生活や慣れない仕事の心労が重なったのだろう。私がひとりで、いろんなことに奮闘しているのを、夫にわかってもらえないことも辛かった。

しばらく療養した後、再び仕事を探し始めたが、なかなか決まらない。不安と焦りから、チャイナタウンにある占いに、思わず駆け込んだ。

私を笑顔で迎えてくれたのは、占い師のテオさん。年齢は、60代半ばくらいだろうか。落ち着いたブルーのシャツを着て、黒縁のメガネをかけている。ひと目見た瞬間に「この人は絶対にいい人だ」と思わせるような、安心感があった。

私はせきを切ったように、胸の内をぶちまけた。

シンガポール移住のために、自分のキャリアを捨てるのは悔しかった。バリバリ働いていた頃の自分が恋しい。一体これから、どこへ向かえばいいのか……。

テオさんは「わかりますよ」と、うなずきながら温かく話を聴いてくれていた。しかも、その場で知り合いに電話をして、仕事がないかどうかまで訊いてくれたのだ。紹介できそうな仕事があれば連絡してくれるとのことで、電話番号を交換した。

数日後、テオさんからメッセージが届いた。

「よい冬至をお過ごしください」

添付写真に写っている、見慣れない団子は何かと訊くと、どんなものか紹介してくれると言う。親切に甘えて、再びテオさんを訪ねることにした。

テオさんは、あの団子を用意してくれていた。冬至に食べる習慣があるそうだ。しかも突然、夕食までご馳走してくれることになった。

中華料理店で、テーブルいっぱいに並ぶ料理を前に、私の頭は混乱していた。まだ会って二回目なのに、なぜこんなに親切にしてくれるのか。そんな私の不安をよそに、テオさんは、次々と料理を注文してくれたのだった。

それ以来、テオさんと親しくなり、定期的に訪ねるようになった。そのたびにテオさんは、私をチャイナタウンのいろんなところに案内してくれた。

仏教寺院や中医学クリニック、シンガポール料理店。特に、ボボチャチャというココナッツミルクにタピオカが入ったスイーツを私が気に入り、2人でよく食べた。

テオさんに出会うまでは、異国暮らしの悩みを打ち明けたり、頼ったりできる人はいなかった。それが今は、いつでも私を温かく迎え入れて、話を聴いてくれる人がいる。

テオさんは、私の心のよりどころだった。

2018年の春、日本への帰国が決まった。私は内心ほっとしていた。この孤独な異国生活も暑いクリスマスも、もう限界だった。

ところが、ある日、所要のためチャイナタウンを歩いていると、不意に涙が出てきた。

テオさんを訪ねる時に、いつも歩いた道。テオさんと行ったレストラン。テオさんと過ごした、露店の並ぶ華やかな旧正月―—。

チャイナタウンは、テオさんとの思い出であふれていた。

日本に帰国してしまえば、もう気軽に会うことはできない。そう思うと、自分の大切なものが急に失われるような気がして、悲しくなったのだった。

とうとうやってきた、テオさんとの別れの日。

テオさんがいかに私のシンガポール生活を楽しいものにしてくれたかを、私は涙をこらえながら一生懸命伝えた。テオさんは、独り立ちする子どもを送り出すかのように、温かく聴いてくれていた。

ハグを交わした後、私は地下鉄の改札を通り、エスカレーターでプラットホームへ下っていった。私の姿が見えなくなるまで、テオさんはずっと手を振ってくれていた。

「元気にしていますか」

あれから5年。メールのやりとりを通して、テオさんとの親交は今でも続いている。夫の転勤で、相変わらず転々とする私の苦労を、テオさんはいつも理解してくれる。

2022年には、シンガポールで再会。チャイナタウンにあるいつもの店で、ボボチャチャを一緒に食べた。 

昔と変わらぬ味がした。

おったまげたよ、台湾!

今回の台湾旅行は、まるで日本を旅しているかのように、一切ストレスを感じなかった。人は優しいし、食べ物はおいしいし、公共マナーも良い。

しかし、そんな中でも驚いたことがあったので、ここに記録しておきたい。

台湾人女性はそういう主義なの?!

道を歩いていたら、大きな花柄がプリントされた素敵なワンピースを着ている中年女性がいた。しかし、女性がおもむろに腕を上げた瞬間、私は見てしまった。わきの下にボーボーと生えているものを。この長さからすると、もう随分と手入れがなされていない。台湾人女性はそういう主義なのだろうか。

その後、タンクトップやワンピースを着ている台湾人女性を見るたびに、わきの下が気になって仕方がなかった。3人ほど、こっそり盗み見たところ、若い女性はきちんと処理をしていた。あの中年女性だけが特別だったようで、どこかホッとした。

「日本人から台湾人になるんですよ」

占い街に行った時に、ある日本人男性に出会った。私と同じく40代前半くらいだろうか。占いを勉強中だという彼は、ここに来た日本人のために無料で通訳をしているのだそうだ。

「あと、2~3週間後には、日本人から台湾人になるんですよ」

と、唐突に国籍を変えることを打ち明けられて、驚いた。人生の半分以上を台湾で過ごし、最近2~3ヵ月間はフィリピンで暮らしていたとのこと。

「日本の空気が合わないんですよ。冬なんか手の皮とか向けて、乾燥がひどい。湿度が低くて」

その「空気」というのは、きっと湿度とか気温とかだけの問題ではないのだろう。台湾人になることを決心するまでには、いろんなドラマがあったに違いない。皆、何かを抱えながら、一生懸命生きているのだ。

考えごとをしながら、歩いてはいけません

(なんで私は、定期的に焦燥感にかられて、海外に逃げ出したくなるんだろうな)

(今後も、焦燥感にかられるたびに、台湾に来られるわけじゃないからな)

(何か日本でできる対策を考えないとな・・・)

うわあぁぁ!!!

上の空で道を歩いていると、足元をどでかいゴキブリが横切った。さすが湿度が高い台湾。結構あちらこちらでカサコソしていて、注意深く足元を見ていないと危険だ。素足にサンダルで踏んずけたらたまらない。

考えすぎるクセのある私には、ちょうどいいかもしれないが。

こんなもんでしょうか。

また近いうちに、台湾を訪れられますように。

台湾の占い師に呼ばれて

「あなたは自由人です。自由人は、定期的に充電が必要です。今回の台湾旅行のように」

あぁ、そうだったのか。私は台湾に充電しに来たのか。だから、何もしたくなかったんだ。いや、何もしないということをしたかったのかもしれない。

ひとりで台湾旅行に来たものの、なぜか出掛けるのが億劫で、ホテルでダラダラしていた。ずっとホテルにいるわけにもいかないので、旅行ガイドブックをパラパラとめくり、なんとなく「占い横丁」をめざした。そして、徐先生に仕事について、占ってもらうことにしたのだった。

徐先生は、紫色のチャイナドレスを着た品のある、六十代の占い師。話す日本語はやわらかく、母親が幼い子どもを見守るような温かさがあった。四柱推命や、つまんだ米粒の数で占う「米粒占い」をしている。

私を自由人だと見抜いたように、徐先生の占いは結構当たっていた。ライターの仕事を辞めようとしたけれど、踏ん切りがつかなくて悩んでいることも、ピタリと言い当てた。「今の仕事は辞めないように。後から、その意味が分かるでしょう』と言う。

さらに、徐先生に優しくこう言われて、私の涙腺が突然ゆるんだ。

「自分のことをもっと周りの人に話して。皆、あなたのことを心配していますよ」

悩みを誰にも打ち明けられなくて孤独だった苦悩を、分かってもらえた気がした。本当はこうして、誰かに話を聞いてもらいたかったのだ。それをずっと放置していたから、充電が切れたのかもしれない。それに、自分が思っている以上に、家族や友人たちは、私のことを気にかけてくれているのかもしれない。そう思うと、どこか安心したのだった。

私の不安や自信のなさを見透かしたような、徐先生のアドバイスが心に浸みる。

「自分で自分をうまく励まして。人生がうまくいかないのは自分だけじゃない。他の人も同じだから大丈夫と、考えるとかね」

「心想事成ということわざを知っていますか。念ずれば花ひらくという意味です。もっと自分のことを信じて」

特に好きなのは、これだった。

「晴れだと思っていたのに雨だったら、どうするか。雨でもいいじゃない。自分の心の中に晴れを持っていれば」

これで充電満タン! おいしいお昼ごはんを食べてね。と、徐先生に笑顔で送り出してもらって、晴れやかな気分になった。徐先生に自分のことを理解してもらえたような気がして、胸のつかえが取れた。

今回、自分がなぜ台湾を訪れたのかよく分からなかったが、きっとこの占いを聞くためだったのに違いない。

そんな不思議な縁を感じながら、軽やかな足取りで、占い横丁を後にしたのだった。

ベトナムは手ごわい

ちゃんとお釣りをください(泣)

ハノイを訪れた時だった。街をブラブラしていたら、道端で売られている小さな丸いドーナツに目が留まった。味見させてくれると言うので、試食したら、ベトナム人のお姉さんの目がキラリと光った。

「お姉さん、きれい!」「1袋10,000ドンだよ!安いよ!」

などと言いながら、買うとは言っていないのに、ドーナツを勝手に袋に入れ始めたではないか。

仕方がないなぁと思いながら20,000ドン札を渡すと、お釣りをよこさずに、20,000ドン分のドーナツを入れて渡された(笑)。

おいおい、という顔をしたら、お姉さんはかぶっていた笠帽子を私の頭にひょいと被せて、記念写真を撮ってくれるという(笑)。

もうお手上げ!私の負けです。

20,000ドンはたったの約100円だし、まぁいっか。

どこか憎めないこのお姉さんとのやり取りが、ベトナム旅行をより楽しいものにしてくれたのだった。

これは果物だけど、こんな感じでドーナツも売られていたよ

ぼったくり率、高すぎだろう

空港から、タクシーに乗った。ホテルに着いたので、メーターに表示されている168,000ドンを払おうとすると、運転手が「追加で100,000ドン要る」と言う。

メーターに168,000表示されているだろうが!と言っても、相手は「英語がわかりませ~ん」というふりをするばかり。らちが明かない。しかも、私のスーツケースはトランクに入っていて、金を払わないと取り出せそうにない・・・。

100,000ドンは当時2016年のレートで、約500円。ため息をつきながら、追加の100,000ドンを払ったのだった。英語、絶対に分かってるよね?!

ホーチミンの街

お礼を言いなさい、お礼を!

フエで、日本語がペラペラのベトナム人ガイドが案内してくれる、プライベートツアーに申し込んだ。

5月のフエはとにかく暑く、この日は42度だった。暑さで頭が朦朧としてきたので、個人商店でアイスクリームを買おうとレジに持って行ったら、ベトナム人ガイドが無言で自分のミネラルウォーターもそっとレジに忍び込ませてきた。

払ってやっても、何のお礼も言わない。

ミネラルウォーターくらい払うけどもね。ありがとうとか、Thank youとか、谢谢とか、何かお礼言ったらどうなの?!

私はベトナムが好きで、これまで5回以上訪れているのに、毎回必ず一枚上手のベトナム人にぼったくられるのが悔しくてしょうがなかった。

コロナで稼げなかった分を取り戻すため、彼らは今さらに知恵を絞って、上手に商売をしてくるに違いない。

そんなベトナムに行きたいような、行きたくないような・・・。勝てる気がしない。